気動車急行王国と呼ばれた四国にあって、目立つ存在なのは本四連絡の高松駅発着列車だったが、急行よしの川号は阿波池田~徳島・小松島港を結び、徳島本線という本線ながらメインルートを外れた区間設定だったので比較的地味な存在だった。とはいえ、最盛期には7往復を誇るなど、けっして重要度が低かったわけではない。徳島県内輸送、そして高知まで直通だった時期もあった。
【HM登場】1975年~1978年ごろと思われる
【HM引退】1998年3月13日(形式変更⇒キハ185系へ)
【HM使用期間】20年以上
気動車急行王国と呼ばれた四国にあって、目立つ存在なのは本四連絡の高松駅発着列車だったが、急行よしの川号は阿波池田~徳島・小松島港を結び、徳島本線という本線ながらメインルートを外れた区間設定だったので比較的地味な存在だった。とはいえ、最盛期には7往復を誇るなど、けっして重要度が低かったわけではない。徳島県内輸送、そして高知まで直通だった時期もあった。
【HM登場】1975年~1978年ごろと思われる
【HM引退】1998年3月13日(形式変更⇒キハ185系へ)
【HM使用期間】20年以上